[1]

幸安仙界物語第一巻

幸安父 黒江屋辰右衛門 同年 五十二才
同人母おさき同年五十二才
同人姉お直同年二十七才
同人姉梅野同年二十三才
同人兄政楠同年二十才
同人弟長之助同年十三才

 和歌山西瓦町南側裏に島田幸安重信とて、当嘉永五壬子年齢十八才に相成、医業を学び居候者あり。  当時母氏併に弟と三人同居にて相暮し罷在、又其外に住居敷候。幸安は兄弟五人の内姉二人、兄一人、其次は幸安にて、其次に弟一人有候。幸安は初の字を善竟と称し、両親家貧窮に付、幸安を西要寺と申す浄土宗の寺へ小僧奉公に出し有之候。
 同人義毎々仙境へ往来いたし候風説有之候。
 吾教子なる町同心組頭茨木英十郎村親と申す仁、右異童に逢て幽魂へ参り候始末相糺し候処、実説相違無之段、誠に珍しき事の由語り候に付、小子自ら異童の宅へ参り相尋候処、世間の風評を憚り候品合に有之、容易に申答へ難き由断りを申候へども、下拙も平田大角先生門人にて幽顕両界に亘り候神道玄理を学び候者也、など申聞せ相諭候処、証文一通相認め内々申答候、其問答の得意左之通正に書記置申候。


[2] 

明 問
 汝毎々神仙の幽境へ往来する由、其時は何程の術ありて行き候や。
幸安 曰
 いつとても闇き夜又暁の頃ろ、仙人の方より御差図有て行申候。大抵一六の日に参る定め也。私より往きたしと思ひて行く術は無御座候。参るべき用事出来る時は必ず現界の事を御察しなされ候て、御案内ある故参り申候、尤も山人と申すに伴はれ雲へ登り空を行くに、暫時に仙境へ行申候。其節は私が体も持ちたるものも皆人間の眼には見えぬ様に成申候。又此内に私が体は家内に寝て居ながら魂気斗り抜出て参る事もあり。

明 問
 然る時は身は死体となり候や。
幸安 曰
 深く寝入て何程ゆすり起さるとも起き不申候。然れども呼吸有て生たる也。(明、思ふに心魂の分形なるべし)

幸安 曰
 嘉永四年辛亥二月七日西要寺の一間に寝臥居候、暁方夢中に白髪の老翁差貫をはき給へるが現れ来るを見て夢覚め起出ししが、果して夢の如くなる老人現に来り、相共に雲に乗り花山と申す山へ伴ひ行、吾を「結縁ある者也。両手の紋理徴あり。汝が為に成り、又諸人の為にも成候。善き事を教へむからに重ねて此処へ連れ参るべし」と云ふに「君は如何なる御方ぞ」と問ふに、「吾は薬師菩薩と云ふ神也」と云ふて老翁は行方不知成申候。(此神後々に青真小童君少彦名神と称し給へりと聞ゆるに、此時薬師菩薩と答へたるは幸安は仏寺に住居なれば暫く仏名を仮りて尊を示されしなるべし)

幸安 曰
 花山は人間の見る時は小さき山なれ共、幽界に人ては仙境なり。此山は往古当国にて仙人登山の始めの境也。故に此紀伊国にて仙界へ行きし輩は先づ此処へ到る定り也。
 今にても毎年一度づつ仙人花山へ来ると云ふ。斯て夫より私は西要寺へ帰り申候。翌十一日の夜眠り覚る折から暁頃、又昨日逢たる如き神人忽然と来り、供に霊空に乗じ、九州の地へ行き赤山に登り、神仙の館へ参り、清浄利仙君と申す仙君に拝謁す。
 此利仙君と申すは、もと仁徳天皇の四十一年癸丑産にして、其後人間に出で候。御名は藤原平次と申してよき官人にてありけるが、医師の神の擁護に依て道を得給ふて仙境に入り、当嘉永五壬子年迄齢千五百歳に成られ申候。清浄利仙君の御姿は頭は惣髪にて長く打垂れ、黒き頭巾を着し(頭巾は今山伏の用る如き物かと問ひしに、夫より大きくして頭のはまる程なりと云ふ)ロ髭は白く長く延たり。身に白き指貫をはき、前にて紐を結べり。上には赤き袍を着す。袍は打裂羽織の如く、但両腋下と後とを裂たり。前には胸紐長く結び下げ、足には黒き木沓を履き、手に赤白二色の鳥羽を合せたる梶の葉の如き団扇を持ち、床机に腰を懸け給へり。
 傍に白髪の老翁一人黒髪にて頭巾を戴き、白衣を着たる一人、併に剌髪にて青色の衣を着たる一人あり。
此三人は上等の狗賓なり。其館は板屋根にて大竹を割て瓦の如くに葺き、柱は松の木を四つ割にして造れり。甚奇麗に見へ申候地は皆敷瓦なり。又厠などもあり。やはり竹葺なり。又柱など竹にて包みたるもあり。彩色はありやと問ふに、家造の彩色は黒赤の二色を用ひたりと云ふ。

明 問
 利仙君の館の外にも家ありや。
幸安 曰
 外に一軒檜皮葺の家を見申候。若干の人物住居申候。


[3] 

又 問
 仙境の人と現界の人と其相違如何。
幸安 曰
 仙境の人々は奇麗に貴き事、人間より遙に勝れ申候。

幸安 曰
 私の名を仙境にては清玉霊人と申候(是は彼の清浄利仙君の附け呉れられたる名也と云ふ)館中に傍輩なども有やと問ふに、数人あれども皆附合不申候中に格別入魂に致候師の利仙君の門人と申すは八人御座候。其名は浄伊白霊人、唐戎の岡山の産也。清安玉霊人、唐の光山の産也。清達方霊人、唐の三光山の産也。清観法霊人、唐の龍山の産也。清長立霊人、唐の戸田山の産也。利法伊霊人、唐の見山の産也。清道井霊人、唐の久目山の産也。浄玉道霊人、九州奥山寳村の産也。此浄玉と申すは当嘉永壬子十七歳に相成申候。人間にては字を熊吉と申候。私の如く人界より参り居申候者に御座候。此人と私とが皇国人にて跡は皆異国人にて候。 (明曰、是等の趣にても皇国は万国の祖国神仙幽境の本部なれば外国よりも仰ぎ畏むべき也)

明 問
 清玉は字ならんか。
幸安 曰
 師よりも私よりも相互に清玉と申すより、人界の字と同義也。心は実名の如くに御座候。

明 問
 八人の服色は如何。
幸安 曰
 八人皆私同様青色の服なり。

明 問
 食物は如何。酒肉もありや。喰器は如何。
幸安 曰
 食物は木の実斗りを用ひ申候。器は陶器にて菓子鉢様の物也。幸安より此界の菓子を携へ行き、師仙君に贈り候事ありたれど、只見たるばかりにて食しは不致候。都て現界の火の入たる所は容易に手を附け申さぬ也。酒肴は専ら相用ひ候。又利仙君に妻妾ありやと問ふに、見不申候。

明 問
 女仙などは見候はずや。
幸安 曰
 清浄利仙君に伴はれ海上を空行し、西城遙に参り候時、女仙人を見申候。其姿は髪を結ひ頭に鳥の形せる飾を粧ひ申候。左右の手首と腕とに飾の輪を入れ申候。服は絵に書きし唐女の如く、肩には帯の如き長き物を掛け御座候。人界の女とは大に違ひ、清らかに御座候。傍に鬼形の者附添ひたるを見申候。


[4] 

明 問
 西域へ飛行の時、此人界は如何様に見へ候哉。
幸安 曰
 地形は同様なれども、人間の住所、町家、民家等は一向見え不申、只海、山、陸、川、樹木而已相見え申候。

幸安 曰
 清浄利仙君は黒き如意を持申候。着座の時は笏の如く構え申候。

明 問
 其如意及び羽団扇は何の為にいたし候哉。
幸安 曰
 如意は位階を定め、座置を極るにも用ひ候由、位により形差別あり。羽扇は風をも出し候由、深き訳のある器と承り申候。

明 問
 死穢、産穢、都て穢を忌む事は如何。
幸安 曰
 物の穢をば厳重に忌み申候。清浄を第一とし、人の名にも清字などを用ひ候程の事なり。

明 問
 此界の如き暑を凌ぐ扇もありや。机筆墨紙などは如何。文字の姿は如何。書籍はありや。
幸安 曰
 仙境には四季暑寒の節なき故、団扇は遣ひ不申候。机は高き唐机なり。平岩の上にて物書く事もあり。又広き板の上にシキシと申て畳の如きものを敷き、其上に紙を置ても認め申候。筆は此界のと同じく毛は藁の如し。軸の毛際に至る処、皆藤にて巻き御座候。墨は人界のに似たれども別製と存じ候。熊に黒き物を吐かせ、それにて造り申候。(明、思ふに色を取る術なり)紙も彼境の製なり。又私が現界の紙を遣して物認めもらひ候事も御座候(彼の利仙君の行草の字を書きたるを出して明に見せ候処、筆力風動して実に仙人の書とも思れる物也)

幸安 曰
 都て文字は此界の字と彼界の文字とを打交へて相用申候。書き物も多くあり。冊子は無く、皆横巻にて御座候(又幸安が師の利仙君より伝へ呉れ候書なりとて、幽境の紙へ師仙君の自ら認めたる一巻を明へ見せ呉候。文字は幽界の字もあり、楷書もあり、幽界字は読めず、楷書は皆文字は知れながら其文章は一言字句も解しがたき物也。一行斗り読方を尋ね候へども禁戒にて読聞かす事ならずと申候。右の書物写し伝へは叶はずやと問ひ候処、他伝を禁ずと申候)

明 問
 幽境の文字の人間の古篆に似たる処あるは如何。又後の楷書を何故仙境に用るぞ。
幸安 曰
 人界の右文字は元仙境の文字に慣ひて作りたるもの也。後世の楷書を用るは便利に因てなり。


[5] 

明 問
 物認め候に関防併に印章などは無之哉。
幸安 曰
 関防併に印もあり。皆書き判の類なり。印判はなし。

明 問
 汝仙境より人間の物を買調へ候は如何なる仕方なる哉。
幸安 曰
 是は師匠の方より術を以て買に遣し呉候事なり。金銭は用ひ不申候。

明 問
 天狗は魔境のものなる由に存じ居候処、仙境にも有由如何。
幸安 曰
 天狗は卑き別境のものにて仙境より支配は不致候。然れども狗賓の官位せし砌は師仙の方へ拝謁に参り申候。狗賓は都て鞍馬山が本所にて彼方へ仕へ位階も其行道の甲乙に依て彼方より定り候由承り申候。只伎儀の用に遣ふ斗りにて御座候。

明 問
 天狗の奉仕する楼は如何。
幸安 曰
 当番非番ありて毎日其入替り申候。毎夜暁の正八ツ時に狗賓は皆退出して一人も無之候。翌朝より又別の狗賓が参る事なり。所謂大天狗、小天狗、木葉天狗同様に当番非番あり。

明 問
 仙境にも昼夜明闇あり哉。十二時の定めあり哉。又彼界に入り候砌は一日、或は一刻なども現界の如くの長短に思ひ候哉。
幸安 曰
 昼夜共に明なる事此界の白昼の如し。日輪の出入は見え候へども、光を借り不申候。故に寝る事も無く眠りたき事は無御座候。時刻は此人間の一時も仙境に居る内は久敷様に覚へ申候。偖十二時の分ちは気支と申す虫の啼くを聞て知り申。此虫大さ蝉程にて金色の美しき虫なり。羽を振ひて啼き候処、其声時刻の名を呼ぶ様に聞え申候。

明 問
 菓物は何を食べ候哉。
幸安 曰
 九州赤山には瓊柑と云ふ菓樹あり。其賞味甚旨き物なり。何時も実ありて常に食とせり。

明 問
 風雨雷鳴などせし事もありや。簑笠は如何。
幸安 曰
 風雷は不存候。雨降り候事もあれど身に触れず少しも濡れ不申候。夫故蓑笠は無之。但木の葉を簑の様に編みたる衣は見申候。


[6] 

明 問
 仙人の神社を拝礼せる様の事なきか。
幸安 曰
 同年三月に又花山へ参り候事あり。其節松樹の下にて白髪の老翁が日前宮の方に向ひ巡拝せしを見申候。偖彼の山を幽界にては花光山と唱へ居候。同年六月七日より当国有田の石垣山へ参り申候。此山を美幸山と名く。紀法仙人と申すに対面仕候。此仙人は仁徳天皇三十九年辛亥より当壬子まで寿命は千五百二歳なりと申候。姿は白髪老翁にて如意を待ち、曲録に腰を掛け居候。曲録の傍に鉄の畳扇を掛け御座候。又矛の如きものも見え申候。此仙人の側に鬼形のもの鉄丸を持ちたるが添居たり。是は星中の精天降て神と成り、唐のΞ神山の中の一神也と承り申候。

明 問
 仙境にて仙人の水火に入る様の奇術見受不申哉。又汝も彼境にては右等の術出来候哉。
幸安 曰
 右の紀法仙人、水を渡る時は草を流し其上を踏渡り申候。又利仙君が熱湯の上を歩行候を見申候。都て腰に付たる枯色の瓢を暫時谷水に浸し居候に忽ち青色に成候など希成事と存候。又磐石の隔たる中をも自在に出入致候。私も水を歩行し岩を出入候事も仙境にある時は出来申候。人界に帰りては卜ント何も出来不申候。

幸安 曰
 此後同八月八日当国熊野の高山と申へ行候、清離仙人と申に逢申候。此仙人は元欽明天皇の十四年癸酉の産にて、其後人間に出たる時の名常陸坊海存重行と申候。丹波の国に生れ、其父討死の後多年義経に仕へて抜群の忠功を為し、文治五年主君亡て後、又仙境に入たりと云ふ。当嘉永五年まで寿命は千三百歳に相成候。此仙人或時海上を歩行したるを見申候。食物は稗の飯を作り給べ、谷水を飲申候。又当山にては五色酒と申す酒あり。青、黄、赤、白、黒なり。此中なる赤き酒を飲み候事あり。味甚甘く殊れたり。

明 問
 其酒器は如何。
幸安 曰
 木の平盃にて御座候。据底なし。

明 問
 仙境の衣服の模様は如何。其服は何様の法にて作り候哉。又金額を扱ひ候事もありや。
幸安 曰
 衣服は皆無地染にて紋なし。衣服は都て唐土の女仙の方より取寄せ申候。人界の如く金銀の扱無之候。他と我と器物の交易を致す事も御座候。

明 問
 木葉簑は何人の着するものならん、形は如何。又鬼形のものに皮褌ありや。
幸安 曰
 木葉簑は肩に掛ると腰に纒ふものとにて御座候。是は狗賓の輩用ひ申候。鬼はシヤウと申て木の皮にて作りたる腰纒ひあり。獣皮にあらずして皮に似たるもの也。尤鳥獣の皮は衣に不致候。


[7] 

明 問
 紀法仙人の館の外にも隣家などありや。又清離仙人の館如何。
幸安 曰
 紀法仙の方には隣家数十軒御座候。清離仙は岩上に座し、山中往来斗りにて館は見不申候。

明 問
 世に螺貝の天上するなど云ふて山中より高く物の登る事あり。龍なりや如何。
幸安 曰
 私九州赤山より西の方ユウの山とか申す処にて、俄に山裂て螺貝の昇天し、水も多く逆上り出たるを見申候。是は外の物に変化する由に御座候。

明 問
 汝海中の仙境へ行候事は無之や。
幸安 曰
 師の利仙君の説に海中の仙境には何事も大に替りたる界にて、是は其筋ならでは絶へて往来は致し難き由申され候。

明 問
 風の吹く事は如何なる様に候や。
幸安 曰
 風は自然に起るものにあらず。神仙の術を以てする幽理にて禁戒の事故、一切申難く候。

明 問
 幽境にも日を撰み、方角の吉凶を云ふ事ありや。又八卦易卜様な事も有之候哉。
幸安 曰
 日を撰ぶ事も、方位の説もあり。然れども人界の俗説には迷ひ申さず候。易トは無御座候。

明 問
 九州赤山の同学八人の内七人は唐戎なるが、其詞は漢語唐音にや。又浄玉は九州詞なりや。音の上り下りなど如何。
幸安 曰
 私の耳には何れの人も皆日本語にて此和歌山なまりに聞え申候。詞は聞く人にて替り候由承り候。

明 問
 幽界も厠ある由承り候。付ては幽界の人も人間の如く両便も致候哉。
幸安 曰
 仙境の人も物喰ふ故、両便も致候。常に厠に行き候に其中を覗き見候処、井戸の如く深くて底くらく、何とも相分り不申候。二便は消失せてなくなり申候。

明 問
 竃所、井戸ありや。
幸安 曰
 竃は不見申候。井戸は御座候。井筒は石畳なり。水も物にて汲上申候。


[8] 

明 問
 汝仙境にて画を書きたる事有りや。又紙を剪る小刀杯はありや。
幸安 曰
 私元人界にて少しばかり絵を学び申候。仙境にても其道をおしへもらい申候。紙を切るに刀あり。鞘にさし御座候。

明 問
 汝仙境にては如何様にして座し居たるや。
幸安 曰
 畳の如く編たる敷物有て、夫々安座いたし居候。

明 問
 肉食をする事有り哉、五辛は忌候や。
幸安 曰
 活たる魚を海より招きよせ、手を付たる跡は生ながら海へ放ち申候。味斗りを給べ候也(熊の黒色を取る理に同じ)五辛を忌ひ事は無く候。

明 問
 六畜を飼ふ事有や。又鳥獣は何様の物見受候や。其様人界と違ひ候や。鳴く声は如何。
幸安 曰
 六畜は不存候。狼、熊、野猪、猴、ヒヒザル、兎、山鼠などあり。皆人語を解し、人に熊の馴るること此界の犬猫の如し。少しも害は為し不申候。既に熊が私の座したる傍に同様に座して遊びたる時もあり。甚愛らしき物なり。鳥は九州赤山にて孔雀を見申候。熊野にてはオシ鳥の水にあるを見候。鳥類の美しき事人界に勝れり。又奥熊野にては烏も見申候。活物の嗚声人界と同様なり。物はいはねども言附を能く聞分申候。

明 問
 仙童の類見申候や。
幸安 曰
 最も奇麗なる子供の横笛を吹き、牛を飼ひ候など見え申候。私が詞を掛け候に笑ひたる事御座候。

明 問
 現界にあるトカゲ、ムカデ、カマキリの如き形のいやらしき虫もありや。蛋、蚊、蝿なども如何。
幸安 曰
 さやうのいやらしき悪物は一切なし。松虫、蝶などの如き愛すべき姿の虫斗りなり。谷中に生火といふものあれども、龍の類にて御座候。

明 問
 仙人の館の外は広芝なりや。山なりや。
幸安 曰
 皆山中にて御座候。然れ共其模様人界に見る山中の有様とは違ひ清く雅ひに見え申候。同年九月六日にも亦熊野の高山へ参り申候。此時魂ばかりにて行申候。


[9] 

明 問
 仙境にも毎朝拝神やうの事、又御霊代幣帛の御鏡様のものありや。
幸安 曰
 九州赤山にて白髪の老人シャクを持ち玉ふ真面の神像(彩色はなし)の下に天王と書きたる美しき紙表具の懸物を懸て、毎朝諸人の拝するを見申候。又一丈あまりの大鏡あり。其後に幣の順とおぼしきもの少し見へ申候。肖像などは此鏡に写りたるを見て相認申候。

明 問
 拝神の礼容は如何。拍掌か合掌か、又祝詞は如何なる文なりや。
幸安 曰
 九州の利仙君の方にては見申候は、拍掌、合掌見申候。都て拱手也。其拱きの形は両様あり。何れも両手を組み、人指と人指とを伸て合せたると、又人指斗り伸せ合せて拱くとの二つなり。扨手を拱きて頭は胸の辺り迄不げ申候(是は師なる方の拝みなり。頭の下りは人に依て異也)祀詞は何れも口の内にて小声に唱候故 其文は分り兼申候。

明 問
 現界の人間が諸尊神仙を礼拝する詞の幽境に通ずる事ありや。
幸安 曰
 人界の礼拝祈念の詞は幽界へ能く聞え申候。既に私九州赤山に居候時、現界の礼拝の詞が風に響て遠音に聞えたる事御座候。

明 問
 毎朝拝礼の御霊代は神像に限り候や。又前に供物などありや。
幸安 曰
 熊野にては皇帝天祖の四字を楷書に書きたる紙表具の懸軸を相用ひ申候。九州赤山にても懸軸の前には白木の机を置き、其上に六角の三宝にて神酒両瓶を供ふ。又外に香炉に似たる器一つあり。訳は不存候。其三宝(図は略す)瓶子は折返しの蓋あり。高さ四寸斗りにて下の広さ三寸斗りなり。此通りの酒瓶一対御座候。

明 問
 懸物風帯は如何。
幸安 曰
 風帯あり。人界のと同じ。但甚見事也。

明 問
 刀剣の類はなしや。
幸安 曰
 赤山にて太刀を座の側に置あるを見申候。


[10] 

明 問
 弘法の談、因果物語様の事はなしや。
幸安 曰
 真神の仙境なる故に左様の事は一向に無御座候。

明 問
 仙境の言語は何様の詞遣ひなりや。
幸安 曰
 仙人の詞は自在なる事其人に隨て異り申候。私は紀伊国和歌山産と申候故に、郡て当地の詞にて物語致呉候に付、能く相分り申候。

明 問
 汝仙境にて物を致すと、此界にて事を成すと何れの方出来易く覚へ候や。
幸安 曰
 彼の境にては何事も為易く能く出来申候。

幸安 曰
 当嘉永五壬子年三月比より西要寺へ参り居候処、翌四月三日、九州赤山へ参り、夫より肥前国高山へ参り、又同月七日に当国熊野の高山へ行申候。五月二十六日帰宅仕候。

明 問
 汝が幽界にある時の衣服は現界より着用の侭に候や。又魂気斗りにて行時は裸形なりや。又面相は変り不申候や。
幸安 曰
 骸のまま行候時も、魂のみ出て行き候時も、忽ち吾身には彼境の衣服備り御座候。其服は此服とは違ひ、いつにても青色の平袖の衣を着し、足に木沓を履き申候。人相は気行、体行共に少しも変り不申候。然れども現界にある時よりも肌膚美しく清く成申候。又此界にて頭痛などする時も幽界に入ては忽ち病は離れ申候。

明 問
 汝仙境へ行とする時、暫く眼を閉る様の事は無きや。家に帰る時にも送り呉れる様の仙人ありや。
幸安 曰
 眼を眠事は不致候。御案内有て参り候節は臓腑を清むる薬あり。是を水にて呑み申し候。其間合は暫く御待ち被下候て行申候(此薬は幽境の師仙君より授け呉れ候て持居候もの也とて明に見せ申候。色白くして少し青味を含み候様の粉薬なり。此味は如何と問ふに只淡く味ひ無き薬なりと申候)

幸安 曰
 家に帰り候時も何時にても山人と申すが附添ひ送り呉れ申候。現界に帰り候後に暫くの間、眠たく成申候。


[11] 

明 問
 汝仙境より伝へ候黒き石を持ちたる由承り候。其石ありや。形は如何。
幸安 曰
 右の石は男根に似て人の形したる青色の自然石の小石にて長さ一寸余り払子を持たる如き座像なり。是を尊信致候様申候て仙人より授けられし物なり、今は幽界の学場に器に入れ安置仕御座候。(明、思ふに是は少彦名大神の御霊代のものならんか)

明 問
 幽境には官位の定り貴賎の等級服色の差別ありや。
幸安 曰
 最上等を神仙と申し、是は遙に貴く神様とも申方なり。其下を仙人と申。次には山人と云ふ。其次を霊人と云ふ。此下は狗賓と云ふ、所謂天狗鬼類は此中に在り。但鬼は昼夜仙境に住み居れども、天狗は交替の出役なり。又衣服の色は上位は黒色(神仙に当る)次は紅色、桃色なり(仙人に当る)次は赤色(朱色なり。山人に当る)次は青色(水色なり。霊人に当る)次は白色(狗賓に当る)。如此其品定り御座候。

明 問
 鬼と天狗、何れが上なるや、又鳥獣は如何。
幸安 曰
 鬼類の次は天狗なり。鳥獣は其下に附べし。然れ共、物によりては天狗より上に附もあるべし。

明 問
 人界より幽境に入りたる人は其人間に在りし時の官位の尊卑によりて仙界の位も定まる事にや。
幸安 曰
 幽界に入ては王侯も庶人も同様なり。人界の官位は人間一世の物にて仙境に入るものは皆一旦位階は離れ申候。其人界の修学信心の道徳に依りて其位を定る事に御座候。

明 問
 仙境の人の冠り物は頭巾の外に異なる冠物ありや。持物は如意斗り笏も無之や。其形は如何に。
幸安 曰
 頭巾といひ諸冠といふ。皆冠り物の惣名なり。諸冠と申して二品あり。冠は一年に両度改め申候。寒暖により改るに非ず。季に依ての定なり。人界の冬春と云ふ。此は頭巾を冠り申候。其形(図は略す)図の如くヒダは傘を開き懸たる如く、高く立ち御座候。紫の紐を結び下げ申候。
 又夏秋といふべき時は(図は略す)冠をば着申候。是も頭巾と同じく黒色なり。何れも今の現界の烏帽子の如く堅き張抜にて、上に絹を張りて漆を懸たり。紐は紫にて御座候。又如意の外に笏を持たる人も御座候。人界のとは違ひ、其形彫ものあり。長さは一尺斗りに御座候。是にて平目なるものあり。
 又如意の如く丸きものあり。何れも笏は白木造りなり。


[12] 

明 問
 此持物も位により差別ありや。
幸安 曰
 黒き如意は上なり。朱の如意は次なり。白は其次羽団扇は又其次に御座候。又紀法仙人など他行の節、団扇を持ち候事御座候(図は略す)(地黒にて雲を画く中は日にて赤し)但是等の持物は皆仙人、山人等の格には拘はらぬものなり。

明 問
 鬼天狗は如何に候や。
幸安 曰
 鬼類は皆裸形にて両手両足の首などに輪を入御座候。順には小き角二ツあり。毛は身中に荒く生たり。又耳に輪を入れたるもの一人あり。是は上等の鬼なり。又狗賓の形は人に同じく手足の爪は猿の如く、惣体逞しき物也。頭巾を冠り、白衣を着し、足には(図は賂す)沓をはきたり。又徒足なるもの御座候。人界にて云ふ如く鼻高く翼あるものは無御座候。又木葉天狗と称するは鳥類也。其姿は皆裸にて衣服なし。頭は嘴ありて鳶の如く、惣身羽毛あり。両翼あり。両手の指は五本なり。然れども其足は鱗甲ありて鳥の如し。此天狗は毛色に四種あり、青と黄と赤と又三色交りの斑など御座候。

明 問
 吾が平田大人の説に、古よりある鷲鵞などの年老たるが化生せる天狗と又弘法始りてより僧山伏の魂が成たる釈魔と云ふ天狗とが有る由、是等の差違ありや。又彼等の三熱の苦ある事の如何。
幸安 曰
 仙家に使ふは品のよき訳の有る筋と存候。或時夜中に私が当地の御城の高石垣の中央に其丈高き僧の空中に立たるを見たり。是等は釈魔ならむ。私未だ魔境に至て見たる事無き故に其訳並に三熱の事も不存候。

明 問
 人界にて強盗殺害諸の悪事を作す輩をば、幽界より誅罰する法ありや。
幸安 曰
 何程の悪業を作るとも、人界には人の君より其刑罰の定法ある事故、一切構ひ不申候。然れども神幽の道を害する不信奸佞の輩の人界の咎なきをば幽境より冥罰を与へ申候。尤も幽理に付ての事なり。竟山と申て山中の行法を糺す役人あり。是が人間の事をも司るなり。人を罰するには狗賓に命じて事を斗らしむ。多くは水火の災を蒙らしむる事に御座候。

明 問
 汝仙境にて手習せる時、外にも習ひ候友ありや。又硯、筆、文鎮、水滴、紙などは如何致候哉。
幸安 曰
 手習は九州赤山にて友一人あり。彼浄玉と申す十七歳に成る仁なり。此人今現界の父母は死して無御座候。私はいつも此浄玉と相並て手習仕候。偖硯も筆も幽界の物なり。ケサンは形長く石を以て造りたる物なり。水は谷水を柄杓にて汲取り、硯に入申候。紙斗りは人界の物を用ひ申候。


[13] 

明 問
 幽境にも天文、地理、物産、算術など学問致候人ありや。武術を習ふ事もありや。
幸安 曰
 仙境の人は天地万物其実を見て能く弁へ候故、別に習ひ候事は不致候。武術の事は御座候。私も師仙君より其奥儀を授けられ学び候へども、是は深秘にて君父の仇討など致す様の砌ならでは不被用人に語る事なかれとの厳禁ゆへ申難く候。却て幽界にては武術の達したる者と、力量の勝れたる者とを第一に尊み申候。

明 問
 仙境にて香を焚く事ありや。碁、将棋、双六のやうの戯もありや。
幸安 曰
 紀法仙人が九州赤山へ来り候時、岩にて香を焚き候に其煙の立昇る末より蛇の現れ出たるを見申候。又囲碁は御座候。別の博戯はなし。其碁の打方勝負の趣向人界とは大に違ひ、甚面白く御座候。矢張黒白の石を相用申候。

明 問
 仙境に詩歌管絃集会の遊びもありや。
幸安 曰
 仙境には専ら詩歌を作り申候。歌は三十一文字也。詩は索也。其席の礼法もあり。偖赤山にて清浄仙君より命題にて傍輩一同歌詠める事あり。私どもには長と申一字題を出し呉れられ申候。其時詠る

 清玉
 とはにすむ 月諸共に 我身まで 寿命の終り 限なからむ

 かく申たる事御座候。扨又歌を唄ひ笏の如き物にて台を打叩き拍子を取り、舞曲を為すを見申候。其舞、俳優、狂言に近き様なる物也。其歌は人間謡浄瑠璃などとは大に違ひ、或に絶て最面白と舞人の所作甚面白くおかしき物にて人界に譬ふべきもの無御座候。又私が熊野へ参り候時、所謂八天狗が楽を奏して象頭山の金比羅神(大物主神)を祭れる其楽の聞えりし事あり。是又人間の雅楽よりも殊勝に御座候。

明 問
 仙境よりも雪月花を見て楽む事ありや。月も光ありや。雪も降り候哉。花も咲候哉。
幸安 曰
 月も白と見へ申候。雪の降り積る事もあり。但身には触れず冷たくは無御座候。花は佐久羅、梅、牡丹、芍薬、諌木四季に花吹き申候。尤月雪花を愛て歌を詠み詩を吟じ候事、人界に変り不申候。


[14] 

明 問
 幽界に男女あるか。又た色を好み妻妾の房事抔もあるべきか。
幸安 曰
 尤男女交接の密事あり。私九州赤山を降らんとせし時、最美麗なる仙女あり。夫を暮ひ附添て来る人あり。其様を怪み振廻りて見んと致せしに、忽ちに姿を隠して見せ不申候。

明 問
 汝仙境にて此人間の風俗、衣食住、等の物語する事ありや。
幸安 曰
 師仙君の許にても、毎々尋ねられ候事御座候に付、其節は有体に申上候。

明 問
 此人界の書物器物抔を仙人の許へ贈り遣す事は出来不申候や。
幸安 曰
 私先達て利仙君の方へ、此界の吸物椀一つ進上敷候処、此器は此処にては用ひ様の無き品なりとて返されたる事あり。現界の物を幽境に置候事は成り難き訳合あり候事と承り申候。

明 問
 現界にて陰陽五行の小理に傾きたる儒学者又は不信心者などを仙境へ運行て幽界を見せ、又夢の諭しなどして邪見の心を改めさせ候様に成まじき事か。
幸安 曰
 元仙境の者の人界へ生れたる類の縁ある人ならでは右等の事は成がたき由、予て師仙君より承り居申候。

明 問
 人間に幼少より早と諸芸等に上達し、抜群なる者あり。如何。
幸安 曰
 是は前世の修行の功を積み候人の生れ替りたる成べし。今此界にて諸芸学問など能く習ひ得たる者は幽境に入ては功に立申候。後の為にならぬは官位財産宝にて候。

明 問
 幽界に年号ありや。今日明日を唱へ候は、何時を始めと致候哉。又諸々山々の仙境に地名国境の定ありや。
幸安 曰
 仙境の年号あれども、其文字唱へは未覚不申候。暁九時より翌日と定め申候。国境地名あれ共、是は至て禁戒の事故に申かたく候。


[15] 

明 問
 世に生れ年の七つ目の活物を尊みて霊験を受し人もあり。其物を軸物に認めて尊信する人もあり。是は如何なる訳合にて信じ候や。
幸安 曰
 七つ目尊む事は仙境にも有之。活物は幽顕両界に通ずる物故、幽顕の縁を導かむ為なり。因って人間にも是を尊むなり。就中鼠、牛、羊なとは殊更人に近き物の由承り申候。尤其名を尊信する斗りに非ず。其実の活物を深く慈み尊みて殺害を蒙らしめず、危難を助ける杯申候。

明 問
 龍の姿は見不申や。
幸安 曰
 熊野山の奥に龍神山と申処あり。其処にて(霧神)を拝み申候。惣身金色にて角青く岩間より頭を出されしが、一丁余りも向ふに尾の先見へ其端に日月の光あり。両の肱と股よりは時々火炎を発し候。誠に貴く殊勝なる御姿に御座候。

明 問
 仙境にて人に礼するには品ありや。
幸安 曰
 人に礼するには三礼の九礼、三礼の六礼、三礼の一礼と申法あり。三礼とは三度づつ額突と事也。私が師仙人に謁する時にも先下座にて三礼し、次の間に入て三礼し、其次前面の席にて三礼する事なり。此九礼は至て重き礼法なり。次に六礼なり。又傍輩同等には三礼の一礼を致申候。人界の如く一度額突く事は無御座候。扨其形は両手を重ね、地に頭を下け申候図の如し。(図は略す)

明 問
 清浄仙君他行の節供連は如何。また汝師仙君前面する心持遠慮ありや。馴々敷候や。又物云るには小声に候や。大声に候や。
幸安 曰
 利仙君他行には大刀持一人召連申候。但西域へ参りたる時は私と只両人也。此時は分形にて御座候。前面の事は礼法厳なるが故に誠に恐入遠慮御座候。然れども心睦ひは甚親しく存候。詞は高声なる方に御座候。

明 問
 仙人の馬に乗り、又鳥に乗る事ありや。
幸安 曰
 馬に乗りたるは見不申候。只赤山にて黒き野馬の遊べるを見申たり。有田の紀法仙人が鷲に乗て行しも見申候。


[16] 

明 問
 汝仙人に誘はれて此家を出行かむとする時、跡を振り向き視るに此家並に瓦町和歌山市中人家等眼下に見へ、或は風吹時は絵に書ける仙人の様に冠の紐衣の裾など吹なびき候や。
幸安 曰
 仙人に伴はれては忽ち此人界の姿は隠れて見へず。又風は身に触れず、衣は吹靡き申候。

明 問
 汝幽境より来迎の仙人来り候節、我等同居致し汝と同道にて幽界へ参り候事は成らずや。
幸安 曰
 縁なき人を幽境へ連れ行く術決して無御座候。

明 問
 終には其体如何致候や。魂の行方いかに。又死候事は恐れ不申候や。
幸安 曰
 私は骸は残る人の形見と人界に伝へ置き、魂斗りにて幽界へ入るべくと存候。元より幽顕両界見通し魂の行処に少しも迷ひなき故、世間の人の様に死を恐れ不申候。

明 問
 守屋大連公、厩戸太子の事幽境にては如何。
幸安 曰
 守屋は神仙の方に居られ候由承り候。厩戸太子は不存候。吾師仙君の説に都て人界にて深く魂を寄たる処の山は必死後にも其処を住処と致し候定めの由に承り申候。

明 問
 八天狗と申は誰々の名を申候にや。
幸安 曰
 私師の仙君より聞居候は、天南坊崇徳天皇、次に太郎坊後醍醐天皇、次に歓喜坊護良親王、次に普賢坊宇治左大臣、次に三密坊叡山法師、次に光井坊鎮西八郎為朝、次に東金坊六条判官為義也。此某坊と申は幽界より出てたる名なりと承り申候。是を八山霊と申候。身柄は何れも正一位にて各一組となり、何方の山へも行事にて住所は不定候。

明 問
 仙界にも胎息養気の術及薬の事ありや。又仙人の腰に帯たる瓢は何を入れ候や。又仙境にて魚を釣り、鳥獣を狩する事もありや、
幸安 曰
 胎息養生術見不申候。薬は丸子を呑申候。腰に付たる瓢は大抵薬物を入申候。酒を好む仙人は酒をも入申候。又釣を致す事は御座候。但魚は死物には成らず候。鳥獣の狩不見申候。


[17] 

明 問
 幽界は日光を仮らず、明なる由なるが、物の陰陽ありや、又山中なれば物音も木霊に響き可申や。又山中に飛花落葉ありや、或は家の内に塵芥の溜る事ありや。衣服破れ垢付きたるものありや。
幸安 曰
 日に向ひ立たる時も身の影はなく、四方明なり。物を鳴らす音も向ふに響は無御座候。山中落花落葉も有之。其色寄麗に御座候。何事をしても塵ほこりの溜る事はとんと無御座候。衣服はいつ迄も新らしく破れる事なし。身に垢付き臭気の出る杯一切無御座候。

明 問
 赤山師仙君の館の広さは如何、館や諸仙人、山人、霊人、狗賓等、夫々一局一構の役所ありや。其人の側に筆硯帳面様の物ありや。
幸安 曰
 利仙君の館は当地にては久野殿(和歌山藩の家老職)家敷に少し狭き方に御座候。館中前役所は構へ不申。奥の間まで見通しの大館にて、数多の人々役目の居場所に列居いたし候。一局毎に役者の前に大机一脚づつ置き上に硯、筆、紙等も御座候。

明 問
 下官の不心得の品ありて師仙上官より叱られ候様の事もありや。又汝など仙境にて物を為すに大儀面倒に覚ゆる事もありや。
幸安 曰
 無礼を戒むる事などあり。賞誉する事もあり。又彼境にては人の用を聞とも吾事を為すも、皆面白く楽しく思ひて致候、大儀なる事なし。尤腹の立事、悲き事、迷惑なる事なとは一向無御座候。

明 問
 汝現界にて毎朝拝神之節拝し振は如何致候や。又汝妻を迎へる事致すにや。
幸安 曰
 拝礼は仙境の法を相用ひ候。私が妻帯の事は当八月朔日より勝手次第いつにても妻を入れ苦しからざる旨、師仙君より申聞御座候。尤も妻帯後は幽界往来は心次第に出来候旨被申聞候也。

明 問
 諸人寿命の長短、又天気晴雨を前知する法は不存申候や。
幸安 曰
 晴雨は相分り申候。人の命数も大底相知れ申候。去り乍ら是は秘密の事に御座候。

明 問
 汝現界にても天狗など目に見ゆる事ありや。
幸安 曰
 夜中往来の節相見んと心を定め候へば狗賓ある時は必姿見え申候。


[18] 

本居弥四郎内遠主より書付を以て
 当国の神名帳に出たる住吉在申候神社の亡びて今は跡も知れぬが多くあり。其祭れる神達は今何処に坐し如何あらん。又金比羅秋葉牛頭天王等唱ふ神とも仏とも別かぬ神号あり。それらは如何なる御霊の留まれるかと、
利仙君の方へ伺候節
 御社の亡びてなくなれるは其神も其社に坐さぬ訳ありて御霊も合体して今はなし。又神号は違ふとも御社に坐する皆尊き神にして、仏は仮の名目なりと申越候。
 同人より其祖父宣長翁並に父大平の今幽境の有様如何と伺ひ候、答、宣長主は伊勢国海幽山に在りて山人と成居候。山人は仙人の次官なり。海幽山は山室山にて此処も仙境也。大平は遙に劣り住所知りがたくと申越候。

明 問
 仙境にては苦行を勤める事はなきか。
幸安 曰
 誠に恐ろしき行あり。私も所々山中谷々にて水火の苦行断食の勤めをさせられたる事多し。就中去辛亥年四月頃は富士山に登り、大雷雨中にて百日断食にて辛苦の大行仕候。甚難行苦しく御座候。夫より五月に至り当国熊野の火滝と申て猛火降り熱湯落る滝に入て百日断食にて焔熱苦行仕候。此難行致ては人界の事も打忘れ、身も魂も消失せ候かとも存候。
 然れども其場を出で候上は少しも疵無御座候。扨百日の定めに候へども、訳ある事か日数を短かく済ませ呉候。仙境に入候初めの程は好み事斗りにてあれとも、何分かこの苦行を致さでは自在の身に成不申候由、此苦患は彼境の修行斗りにあらず。前世よりの罪を償ひ致由承り候。
 大抵の人間は皆此苦行を得仕遂げずして人界に帰る者多く御座候。茲に至ては誰も人界の楽を羨み申候。人間は寿命短かく不自由にて心侭に成らぬ事多けれ共、斯る苦患の無きは結構也。併しながら苦行を仕おほせたるは通力自在にて中々人間の及ぶ事にては無御座候。
明 問
 仙人達にも苦行ありや。
幸安 曰
 仙人になりては左揉の事なし、但狗賓以下には難行も御座候。其外凡人の死て幽界に入たる者苦患あり。


[19] 

明 問
 人界にて格別徳も無き人を聊の功にて社を建て、神と祭りたるあり。此等は幽界にては如何様に成居候や。
幸安 曰
 人界にて神と定め物を供へ祈祭の時は其祈りの功に依りて夫程の神に成居申候。来去分形也。崇徳天皇の御本体は大天狗と成り居り給へども、神に祭り候方には神と現はれ給ふを思ふべし。
又曰く
 世の人間に何の善行陰徳も無くして仙術を好み、或は穀食を断ち、山に入るとすれば、忽ち仙人にも成る様にも思ふ者あり。大なる心得違ひなり。人に生れては第一諸神仙霊を崇敬し、其国其処の君上の掟に従ひ五常を守り、陰徳を施さば願望叶ひ死しても必ず神と成ると可申候。邪見不信にて情の心なく、一己の富貴を貪りうかうかして死し申候者は魔境に入申候。

明 問
 汝此人界にても何か禁戒の食物様の事は無きや。五辛酒肉は給べ候や。
幸安 曰
 断物は鳥獣と灸治也。五辛酒肉も給べ申候。師仙君の申されしは、私人界に帰り候上は又人界の法令を堅く相守り可申候。此幽境の事も親類の外は不信仰の凡人猥りに語り申間敷旨教へ呉られ候。

明 問
 汝が諸人の為に相成る事授り候と申は何様の所行を第一に致し候や。
幸安 曰
 私人間に生れ候へども、元より仙境に機縁有て師弟の契有る事手裡の如しとて左右の掌を見せ候に(図は略す)図の如く中指と無名指を囲みたる筋あり。将指は師匠、無名指は弟子なりと申より、私第一神幽の其実を篤志の人に伝へて現界に弘めしめ、諸人を諭し導かしめ、幽顕両界の栄を願ふなり。次には蒼生の病難を救はん為に少彦名神の御伝にて手を以て病性を見極むる術、並に相当の薬法を教へ賜り候に付、医官本多東端正兼の門人と成り売薬渡世を致し、夫を以て親兄弟日々相暮し罷在候。
 然る処近頃物知らぬ世俗は私が事を聞誤り、愚人等の魔天狗に連れ行かれ、たぶらかされ候類と同様に心得、杜撰の虚説を云ひ触らす者有て、或は銭金を貪り山子の様に悪く話する者あらんと心配仕候。夫故に家貧窮に候へども無論当時金銭の謝礼を受不申様、大抵は病家にも処方書遣し申候儀に御座候。
 又私を出家の様に思ふ人もあれど、今は僧にては無く仏法は嫌ひ也。坊主なれども世並の俗服を着け帯刀にて罷在申候。右心得違ひ居候人もあらば右之趣御申訳成被下度候。


[20] 

明 問
 近頃幽界に行通ひせる人も折々ある事なれども、皆貧賤の野人にて尊貴の人に無きは如何。汝が如く神幽の道を世に伝へしめんとの仙官の使者ならんには殊に君上高位の方にありては其道も速に弘まるべき理なるに、汝如き庶人を以てせらるるは如何。
幸安 曰
 此教に縁なき人を幽顕の案内に使ふ事は無之。況して妻妾臣僕を抱え、政道を預り、君父に従がひ官位せる人などは用捨もある事に御座候。扨今君の如き凡人に逢ひ候て我事を世人に伝え賜り候抔は実に出世間の為に此上無き事にて、是又かかる訳のある事と存候。尤私は無学無才にて物書き候事出来がたく、物語り不弁舌にて候間、御答申次第御認被下宜敷御取斗之程奉希候。 是迄相記し候趣は、明が去月七日初めて異童の宅へ参り候以来、面会の節に思ひ出る侭承り候次第に御座候。幸安儀は何時にても仙境へ参り候事故知らざる事も此頃見聞に及候儀多からん事と存候。是又明が此現界にて分り兼候事など書付に致し、同人を以て仙境へ聞に遣し、仙君の答語を承り認め越し呉れ候。条々に御座候へども、是は次巻に相記す可く候。(下略)

- 完 -

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